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子どもたちには、いわゆるグローバルな人材に育ってほしいなと思っています。ただ、そう思う一方で、小さいうちから海外に教育移住してしまうのはどうなのだろうと、最近よく考えるようになりました。
早期のインター教育に感じているためらいは、別の記事にも書きました。海外への移住についても、それと似たような引っかかりが自分の中にあります。また考えが変わるかもしれないので、今の時点での気持ちとして書いておこうと思います。
移民の子として育つということ
たとえばアメリカに渡って、仮にアメリカで生まれてアメリカ国籍を取れていたとしても、それでも移民の子であることに変わりはないのだろうなと思います。アジア人差別のようなものと向き合いながら、大学を出るあたりまでは、ダイバーシティという後押しもあってうまく進めるのかもしれません。
でも、その先で、昔からアメリカに住んでいる同じ能力のアジア系の人と並んだときに、特別に有利になるわけではない気がするのです。しかもうちの子はアメリカ国籍があるわけでもないので、ビザの問題はずっとついて回ります。
ネイティブと同じ水準の英語やコミュニケーション力を身につけるのも、なかなか大変だと思います。そしてそれだけ努力して身につけたとしても、現地で選ばれる場面では、結局、現地の優秀な人の少し劣ったバージョンにしかならないのではないか。そんな引っかかりが、どうしても消えずにいます。
それでも日本語の土台を、と思う理由
私自身を含めて、日本で育った人間は、英語をネイティブの百とすれば、どうしても八十や九十あたりになってしまうのだと思います。それでも国際的な場で重宝してもらえるとしたら、日本語でしっかりした論理を持っていて、それを英語や別の言語で説明できて、日本人としての視点を持っている、というところなのではないかなと感じています。
もし日本語では学術的な文献がほとんどありませんとか、日本語で初等教育を受けても論理的な力はあまり育ちませんとか、そういう状況だったら、最初から英語漬けにするしかないのだと思います。でも幸い、日本語はそういう言語ではないのですよね。
だとしたら、せめて小学校を卒業するくらいまでは日本語をベースにして、日本のものの考え方や文化的な背景も身につけて、日本人としての土台をつくったうえで、国際的な場で活躍する力を育てていく方がいいのではないかなと思っています。
海外転勤と、日本語という当たり前
そろそろ海外転勤も考えなくはないのですが、動くとしても、子どもたちが全員小学校に入って、その場に合わせた言葉遣いで議論ができるくらい日本語が育ってからかな、と思っています。子どもが十歳くらいでしょうか。まだはっきりとは決めていません。
少し先輩で、お子さんをずっとシンガポールで育てている方がいます。その方はシンガポールで子育てをすると決めていらっしゃるので、それはそれでいいのだと思うのですが、お子さんの日本語はかなり怪しい、とおっしゃっていました。
日本語は変わった言語で、読み書きや細かいニュアンス、漢字まで含めると、海外で日本人家庭に育ったとしても、身につけさせるのはなかなか難しいのだろうなと思います。親はつい、自分は日本語を何の苦労もなく、少なくとも記憶の中では自然に覚えてきたので、それが子どもにも当たり前に与えられる前提で考えてしまいます。
そのうえに英語や中国語を足していくもの、海外の環境を足していくもの、というふうに思ってしまいがちです。でも本当は、何かを足すことは、同時に何かを手放していることでもあるのですよね。その視点だけは忘れないようにしたいなと思います。
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